どうも、アンダーソンです。
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今回の記事はこちらです。
ー 映画紹介 〜ジャッカルの日〜 ー
前回の記事で取り上げた映画、【ジャッカルの日】(原題:The Day of the Jackal)。
全てが謎に包まれた殺し屋【ジャッカル】が、実在したフランス大統領の暗殺を目指す話です。
この映画の様に、【殺し屋】を題材にした映画はかなりの数があります。
様々な価値観や理由でターゲットに迫る彼らは、観ている視聴者に対して時には恐怖を、時には畏敬の念を持たせてくれます。
そんな【殺し屋】に触れていると、逆に気になってきたのが【暗殺者】という存在です。
何だか同じ事をしているようで、違う事をしているのだろうか…改めて疑問が出てきました。
そこで今回は【殺し屋】と【暗殺者】の違いについて、個人的な独断と偏見で考えてみます。
まずは【殺し屋】というのは、言わずもがな『人を殺してお金を貰う人』の事を指します。
当たり前ですが、現実世界では犯罪行為に他なりません。
このため極端な表現をすれば、『対象の人間を手段を選ばず殺せればよい』という風に取れます。
つまりジョン・ウィックの様に、向かってくるものを裏路地だろうが街中だろうが、人が見ようが見まいが『殺せれば』いい訳です。
結果、ジョン・ウィックはあれだけ派手にあちこちで暴れているんですね。
もっとも実際は逃げ切るところまでしなくてはいけない訳ですが…(汗)
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次に考えたいのは【暗殺者】という人たちです。
こちらも映画などでもよく取り上げられていますね。
そもそも【暗殺】とは、どういう意味なのでしょうか?
試しに広辞苑で調べたところ、以下の意味でした。
【暗殺】(あんーさつ)
ひそかにねらって人を殺すこと。多く、政治的に対立している要人を殺すこと。
上記の意味から判断するに、暗殺とは主だって2つの意味があることになります。
それは『殺し方』と『殺す対象の権威が高い』ことです。
多くの場合、『殺し方』のイメージがあるようですが、調べていくと後者の意味も理解することができました。
一例を上げると、【ジョン・F・ケネディ大統領暗殺事件】がまさに後者に該当するからです。
これは誰もが知っている話だとは思いますが、ケネディ大統領が殺されたのは白昼のパレードの真っ最中でした。
多くの観衆だけではなく、TVを観ている視聴者の前でケネディ大統領は頭を撃ち抜かれ、亡くなってしまいます。
事件は二転三転し、結局のところ真犯人は分からず仕舞で、事件は何かしらの陰謀があるのではないかという幕引きで終わりました。
簡単ですがこれがケネディ大統領暗殺事件の顛末です。
すでに皆さんお気づきだと思いますが、普通に考えると誰も見ていないところで何事も無かったかのように行うのが【暗殺】だという固定概念があったと思います。
しかし実際は人が見ていても、権力者が殺された場合は【暗殺】となるんですね。
つまるところ私の結論として【暗殺者】というのは、【殺し屋】と限りなくイコールの存在であると纏めました。
暗殺は手段であって、人を殺める【殺し屋】の技術における1つであると言えます。
ただし『限りなくイコール』という言葉を使ったのには、理由があります。
それは政府の人間が報奨金を貰わず、暗殺を行う場合があるためです。
特にイスラエルでは超法規的暗殺が認められているため、国が承認すれば『合法的に』人を暗殺できるようです。
これはこれで非常に恐ろしい話ですが、こういう政府が主導する暗殺があるのも事実なようです…
ともあれ多くの映画に出てくる暗殺者の皆さんは、いわゆる殺し屋ということになりそうです。
タイトルはさておき、様々な殺し屋の活躍を「エンターテイメントで」楽しみましょう♪
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