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ー コラム:戦役紹介 〜イア・ドラン渓谷の戦い〜 ー
前々回の記事で紹介した、映画【ワンス・アンド・フォーエバー】。
実際にベトナム戦争初期に起きたとされる【イア・ドラン渓谷の戦い】を再現した作品です。
今回はそんな【イア・ドラン渓谷の戦い】とはどのような戦いだったのかを、少し触れて行きたいと思います。
ベトナム戦争の中でも、日本人にはあまり聞き馴染みの無い戦いと思いますので、簡単にまとめてみます。
戦いのきっかけは、北ベトナム軍が米軍の基地を襲撃したことから始まりました。
その追撃のため米軍は、ハル・ムーア中佐率いる第一騎兵師団隷下の第七航空騎兵連隊 一個大隊に11月14日早朝、出撃を命じます。
北ベトナム軍が逃げ込んだとされる地域が、戦いの名前にもなっている【イア・ドラン渓谷】です。
場所はカンボジアと国境を隣接する、以下の場所になります。
米軍はヘリを使ったヘリボーン作戦を展開します。
ただいきなりの降下は危険が伴う為、およそ30分間にも及ぶ砲撃を行った後に部隊は展開しました。
画像参照:https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Ia_Drang#/media/File:Bruce_Crandall's_UH-1D.jpg
米軍は目標地点に、『点』で部隊を展開しました。
しかし目標地点にはすでに約4000名の北ベトナム軍がおり、米軍の展開地点を包囲していました。
このため米軍は初戦からかなり危険な状態になってしまいました。
展開後すぐに北ベトナム軍の攻撃が敢行され、いきなり敵軍に肉薄されます。
米軍側は数で勝る北ベトナム軍が、ヘリのランディングゾーン(LZ)に近づかないようにするため、航空・砲撃支援を要請して何とか耐え抜きます。
また米軍と北ベトナム軍とのせめぎあいを繰り広げ、一進一退の攻防を繰り広げています。
しかし航空・砲撃支援のある米軍と違い、北ベトナム軍は基本的に『人海戦術』しかとることが出来ませんでした。
幾ら正規軍とはいえ、米軍のような兵器は持っていませんでした。
米軍は豊富な火力を使って、不足している兵力を補うことに成功します。
補給も随時行われましたが、しかし兵力の減退には日増しに厳しさをみせます。
このため戦闘が5日間続いた末に、戦いは終結しました。
お互いに勝利を主張していますが、米軍は地域の確保ができず、北ベトナム軍側も甚大な人的被害が出ており、手放しで喜べる状況ではありませんでした。
この戦いで正面からぶつかった場合、消耗戦になって不利になると悟った北ベトナム軍は、多くの方がご存知のように泥沼のゲリラ戦を展開していくことになります。
最終的にはこの戦術は見事成功し、米軍は最終的にベトナムの地から撤兵して行くことになります。
ベトナム戦争の始まりに近い戦争ですが、私も今回の記事を書いていて、自分の情報量の少なさに悲しくなってきました。
もっと調査をして、より細かい情報を今後お届けできるようにしたいと思います。
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